Monday, October 19, 2015

碧空631 半具体

631 半具体  the 2nd personで語り出すこともthe 1st personで語り出すことの鏡像であり、覗き穴が取り消されている。それは、鏡像の気配が消えている場合と消えていない場合とに岐れ、Adam Walker が自らをthe 2nd personで語り出すのは消えていない場合であるが、その再録に於いては、再録する者とA.Walkerの区別がおかされそうになる。つまり、単なる再録にtwice-toldの気配がかかるのである。A.Walkerのthe 2nd personは鏡像であるが、twice-toldの(腹話術のかかった)鏡像は漠とした地下的な目的が自らをA.Walkerとして想起すると同時に自らを忘却する。鏡像の気配が消えないA.Walkerにしかも霊的目的を映し出す媒体の気配がかかるのである。(「Invisible」P.Auster)  そもそもthe 1st personは呼び出されなければ成らないという矛盾を抱え込んでおり、覗き穴の取り消された鏡像は、種というものが宙に浮いているように宙に浮いた「私」というものが目に見えるようにはならないがまるで鏡の中に予言や透視や占星術のように収縮しているというようで、いつまでも生まれ切らない。つまり、いつまでも私的になり切れなく、公的にもなり切れない半具体が持ち越されている。  有性生殖にはtwice-bornの気配がかかる。地下的な責めが有性生殖として自らを想起する生まれ変わりにはVenus がかかっていて、目に見える(解としての)有性生殖の、その媒体性の鏡像は姦通性である。媒体性は「私」というものを脅かすように姦通性を脅かし、姦通性は目に見えるようにならないが鏡の中に次元減衰して、解かれないままに疼く責めの金縛り状態である。それは呵責ではあっても目に見える姦通ではなく、目に見える姦通は目に見えない責めが姦通として自らを想起すると同時に自らを忘却して、疼く責めから解放されている。解としての姦通は地上の責め苦ではあっても、もはや不正義の疼きではなく、姦通の禁止には混乱がある。  

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