碧空648 黙示からミステリに零落する萌芽
648 黙示からミステリに零落する萌芽
「たけはまた、私に道徳を教えた。お寺へしばしば連れて行って、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。火を放けた人は赤い火のめらめら燃えている籠を背負わされ、めかけ持った人は二つの首のある青い蛇にからだを巻かれて、せつながっていた。血の池や、針の山や、無間奈落という白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでいた。嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。
そのお寺の裏は小高い墓地になっていて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒塔婆が林のように立っていた。卒塔婆には、満月ほどの大きさで車のような黒い鉄の輪のついているのがあって、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止ってじっと動かないならその廻した人は極楽へ行き、いったんとまりそうになってから、またからんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言った。たけが廻すと、いい音をたててひとしきり廻って、かならずひっそりと止るのだけれども、私が廻すと後戻りすることがたまたまあるのだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行ってその金輪のどれを廻して見ても皆言い合せたようにからんからんと逆廻りした日があったのである。私は破れかかるかんしゃくだまを抑えつつ何十回となく執拗に廻しつづけた。日が暮れかけて来たので、私は絶望してその墓地から立ち去った。」(「思い出」太宰治)
647 のRousseauの場合の、これから幸福であるための呪術や占星術じみた乱暴な規定と同じように、これは、呪文をかけるような催眠術にかけるような(笑い出したくなるほど)神秘的なスリリングな規定であって、それが一旦忍び込むと、他の誰かを要請しない黙示の如き媒質変化の特異点が発生する。ひっそりと極楽に行くための規定がその影を落とすと、一転からんからん地獄へ落ちるための規定になっていて、その、こんなにも身近で隠れない判例としてよりによってこの自分が選別され引き据えられてしまっている、その酷薄に半ば麻痺しつつ、その恐喝(他の誰かを通した告白)と暴露に半ば魅惑されているというふうだ。これは、追跡や陰謀の気配が黙示からミステリに零落する萌芽である。
道徳は運命と区別のつかない種の関心で、偶然を現実にする場所に転位し、更には地に転位して、dark matter がmatterを浮かび上がらせるように、それはnarrator(影)であるが、解としての太宰(媒体)は、しかも媒質(narrator)であって、種の関心を映し出す媒体であることを打ち消して種の関心が媒質に転位しようとするが、転位の気配を消せない。ひっそりと止まることと、止まりそうになってからんからん逆戻りしてしまうことと、どちらが解(媒体)であろうともう一方が解を映し出す媒質(影)である縁生の気配が消えない、それが、どちらに転ぼうと息を吹きかけて来る「たけ」の正体である。


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