Sunday, November 22, 2015

碧空654 the sense of some omni-presence,omni-science

654 the sense of some omni-presence,omni-science  これからの運勢を占うために石が幹に命中するかどうかにかけることに決める。この、Rousseauが思いついた対応は恣意的に見え、樹までの距離や一回限りの試行なのか、命中に対応するのは幸運なのか不運なのかといった規定も恣意的に思える。しかしこれは、Nashe が自由と称して実はmetamorphosis がもちあがる特異点を尋ねて強迫的に道路を車で移動していたことや、Flowerが人や出来事のがらくた同然の痕跡を(跡形もないアウラを)蒐集すること、Stone が知らず知らず箱庭を入れ子状態にしないではいられなくなるだろうということ、Pozzi が隠れない特異点に中毒することと同じように、移転を強いられる「神の小さな土地」(E.Caldwell)なのである。  種の関心は、「誰かがいる」という薄気味悪く迫る気配と「誰かがいるはずだ」という要請の間に、隠れなさと暴かれなさの間に振動するが、この暴かれなさがミステリやスリラー、希望の源泉である。ミステリやスリラーや希望は結局は何も暴かないが、不断に他の誰かを要請するのである。  しかし、どうして偶然の他の誰かが希望になるのだろうか。  科学や経済が技術革新や分業を通して器官を延長するのは、そのまま希望であるが、そのままに他の誰かを要請することである。盲目になったオイディプスに連れ添う妹はオイディプスの器官の延長であり、この偶然の女は、オイディプスを糸のないマリオネット状態にする腹話術師の盗聴能と監視能が現実の次元に乗り込んだ(質料化した)narratorである。しかし、どうして偶然のnarratorが希望になるのだろうか。  遍在を脱した偶然の女は、omni-scienceを脱しているかに見えるからである。知らない、ということは漠とした(疚しさとなって潜伏した)次元で予期していない、ということにはならない。スフィンクスが次にNashe に問いかけたのは、思いがけない少年の姿をとってである。この、偶然の少年は何かおかしいが、Nashe の思考を盗む盗聴能がある。Jim,Jim,Jim とNashe の名前をアラームのように連呼して、それはNashe の漠として疚しさとなって潜伏した次元の奥底から鳴り響く。それは、Pozzi の逃亡がどうして発覚して頓挫したのか、と問い詰めることを迂闊にも怠っていたNashe を責める。Nashe は、苦役に進んで甘んじているように責められたい、と同時に、この悪を他の誰かの精にしたい。こうした矛盾した要請が問として出現してしまうNashe の症状こそは、この思いがけない少年である。症状から別の症状へ転移するというよりは、症状が他の誰かであるように転位するのであり、要請は問にして症状はその解であるから、このスフィンクスと呼ばれる症状は半具体である。Jim,Jim,Jim と鳴り響くのは生まれ変わり切らないのである。しかし、どうして半具体が希望になるのだろうか。

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