碧空675 衝動の分岐
675 衝動の分岐
半具体の、その希望の症状と金縛り状態は、どのようにして躁鬱のように切り替わるのか。「私」というものを代表する「自由、孤独、思考」と「狐憑き、類、生首」が縁生を以て切り替わるように反転するのであるとしても、その反転の契機は何か夢遊的失踪(fugue )の唐突な記憶喪失や突然の覚醒じみていて、糸のないマリオネット状態の、その糸が前触れもなく消えたり顕れたり振動するというふうで制御できないが、極まることが反転を誘発する。というより、極まることは、打ち消されて反転することなのである。
鬱勃として、さわざわと粛まる雁の渡りが、大陸移動を背景にして繁殖の衝動にぽっかり空いた空白を塞ぐ。手段が極まって目的化する(別の衝動に分岐する)のである。繁殖期のヒキガエルが自分より体が小さく動くものなら何にでも抱きつき、オオムラサキが天敵の小鳥をも追飛する習性は、種の夢が寛大過ぎてまるで解を誤ったかのように何か不毛なのに愚鈍なほど種の夢の即興に忠実で、問としての種の夢(霊的形式)がこの世のもの(解としての種の夢)になるために二重に潜伏する、その、種の夢の記憶喪失のような次元移動は、別の衝動に分岐するかに見えるほどに練習じみ、儀式じみている。
Lazarus の蘇生は、種の霊的形式としての復活が次元移動してこの世のものになるために誰と入れ替わったのか分からなくなるようにではなく、復活を複写する技術革新や儀式のようなもので、何か意味があるかの如くになるしるしである。次元移動から器官の延長の衝動が分岐しようとしているのである。


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