碧空676 器官の延長、場所の延長
676 器官の延長、場所の延長
概して、Jesus Christの顕わす奇蹟じみたしるし、盲目を癒すとか蘇生とか、水上歩行、全質変化といったものは、誰もが欲しがる手段の開発、技術革新を、更には果てしもない器官の延長の衝動が分岐することを予言している。
極端な器官の延長としての、検索ロボットやJesus ChristやDracula は夢を見るか、というより、それらは解としての夢で、霊や情報や運命のように夢も、問の次元から解の次元へ脱け出して、独り歩きするわけではないがその如くに振る舞う。それは、独り歩きするのではない気配を消して出自を探すような、比較の衝動である孤独とは何か違う。
化は問の次元から解の次元へ、影の次元から現実の次元へ、霊的抽象の次元から具体の次元へ脱け出すが、複写は延長である。延長することは何か希望じみているが、別の次元に脱け出すことではない。それは意志に酷似していて、未だ選択されていない状態であり、儀式である。器官の延長である媒体は場所の延長(半具体)でもあり、言葉の延長として貨幣や地位は言葉に代わってものを言うが、こうした代用、代表を以て意味があるかの如くになる。
慣習は落ち着く(適合した)居場所であり、媒体と同じように場所の延長である。exoticな慣習が薄気味悪くあるいは滑稽に迫るとすれば、それは、解離すべき媒質としての慣習が剥き出しになってゴーストがかかるのと同じ効果だからである。
問としての衝動や問としての自然の人格化を複写した神格化もありふれた場所の延長であるが、つまり不気味な慣習であることを忘れているが、そうした裂目が、検索ロボット、Jesus Christ、Dracula の擬人性にはのぞいている。追跡や陰謀や予言の気配が媒体性の変装であり、追跡が被追跡の変装であることに被曝するのである。


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