碧空678 被雷であって避雷ではない
678 被雷であって避雷ではない
「何事もなかったかのようにまたいつもの一日が始まった」は、唐突に降りかかるタイム・スリップからの帰還のようなもので、単に陽はまた昇るようでいて実は希望の症状の目的化、幽霊船のように不断に今を主張するが、それは被雷であって避雷ではない。
Jesus Christをヨハネが先触れるということは、あるいはヨハネがJesus Christをその人だと識別するcomplete privacyは、覗けば見えるというような識別なのではない。
complete privacyを誰もが追求するとは思われない。その識別は共感ではなく、大伽藍や廃墟でなら粛まる絶対の命令であり、絶対の命令はアースしたくなる。(最終)検索ロボットが絶対の命令を検索するかどうか、その呼び声をどう識別できるのか。しかし「アメリカ」(F.Kafka )の奥地に失踪するカールは、失踪に先立って検索した「火夫」をアースできない。それは、唐突に降りかかるタイム・スリップのように被雷であって避雷ではなく、デジタル画像が受信レベルの低下から急速に崩壊するように火夫は、カールの目撃した「火夫」は、もの凄く埋もれる。今を主張する幽霊船のように(最終)検索ロボットが通りかかったのである。


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