碧空685 取り返しのつかなさの保持(埋め合わせられているかのような混同)
685 取り返しのつかなさの保持(埋め合わせられているかのような混同)
この世のものは所有(あらゆ)るのであるが、この世のものが場所と解離する限りでは、存在の発信(能有)に反転して真なるものがあるかの如く、しかもこの世のものの取り返しのつかなさを埋め合わせるかの如くになる。この世のものが目的と場所の分節を孕んでいるのは、この世のものの責めを何に帰するのかを転写して試みるのである。種の関心なのか、この世のものなのか、また場所なのか。いずれにしても分節して責めを探し索める限りで、それは擬人的復讐的である。
種の関心(the sense of some presence)は解かれなければならない問であるが、それがこの世のものになるために二重に潜伏することを通して、種の関心が解かれる、というように分割、分節される。itがこの世のものになるためにit presents it(self) in (the form of) itというように分割・解離し、二重に潜伏する霊的形式(目的と場所(媒質))は、まるでこの世のものの取り返しのつかなさを埋め合わせられるとでもいうように人格化、神格化する。つまり、この分割・解離は保持、取り返しのつかなさの保持なのに埋め合わせられているかのように混同されるのである。
異形の影を落とす二重性を以て取り返しのつかなさを模写している鶴女房が、鶴に形が戻ることを恐れるかのように禁止を以て(しかし実は)反語的に誘惑し、自らも(他の誰かを要請して)告白に誘惑されるのも、こうした混同である。


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