Thursday, January 14, 2016

碧空689 即興の衝撃の、ピンぼけの効果

689 即興の衝撃の、ピンぼけの効果  夢は記憶を素材にして、関心を映し出す媒体であるが、言葉や貨幣のように発信と受信が解離して出回るのではない。それは法則的ではなく、フロイト的ではない。場所が映し出すようなこの世のものに零落していないcomplete privacy、究極の個別化なのである。  夢は半ばこの世のものである。打ち消されて夢の場所となって潜伏した関心(形式)はしかも夢の意味でもあるが、意味は場所の場所(場所をこの世のものにする影)であるから、この場所の半潜伏が夢(半具体)の奇妙な雰囲気である。この世のものは本質的法則的であって零落はフォーカスを絞る、あるいは均す試みであるが、夢は半零落、汎フォーカスで、見落としているものが別の生きもののように迫り上がって来る。  Kafka の「甲虫」もRousseauの「湖中の牢獄」も、空飛ぶ円盤に吸い上げられたピンぼけの状態の変装である。  F.Kafka は、救世主を見分けたい、救世主と隣り合いたいのである。それは、本質や法則の領域でのことではない。この原初の言葉が失語状態であるのは、発信と受信が解離して出回る言葉ではないからである。原初の言葉は、「私」が使うような器官の延長ではなく、「私」を脅かす。  十二弟子は誰も同じ顔をしている。女は誰もマリアで姦淫する。救世主の目撃は「私」を脅かす運命や軍服のようなものだが、なおも思いがけない差異が生まれる。同じ顔をしているのは、思いがけないが予期していた、その、即興の衝撃のピンぼけの効果である。

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