碧空693 ファンタジーの起原
693 ファンタジーの起原
標本1「あの頃われわれが取り憑かれていたのが、秘教主義的な素描画家にめぐり会いたいという欲求であったかどうか・・・以前から漠然とくすぶり続けてきた欲求が、ある別の事への関心がつよまったため、影が薄れそうになることがある。それがにわかに蘇って、正当な位置づけを得、正体を明らかにするのは、求めていたものが、突如、現実となって出現してきたときだけだ・・・われわれがすでに長い間、それと気づかぬまま待望していたのは、一人の女流画家にめぐり会うことだったのである――内的な、だが異様な力にうながされて、たとえば月光によって高く浮き出された一輪の花とか、深海植物群とか、さてはデフォルメによって歪んだ、大きな髪型や兜をつけた頭部とかを、そう描かざるをえないから描く、あの神秘な女性たちの一人だ。」(F.Kafka「断章」)
標本2「きわどい課題――爪先立ちの歩行。ただし、朽ちた梁をはずし、爪先を乗せるだけの土埃を自分の足でかきあつめてから、このうえを渡る。したの水面に映った自分の鏡像、ただそれだけを踏んで渡る。足で全世界を吊るす、この苦痛に堪えられるよう、両手はただ空中にあげて痙攣させておく。」(F.K「断章」)
「私」自身というようなものがあるとしても、それは「私」というものに矛盾し、それに縋ろうとするのは、つるつる滑る岩場を乗り越えようとして転落、深淵に吸い込まれるようなものである。
運命が「私」を脅かすのは、「私」は問としての種の夢の間に合わせの解でしかないからである。しかも「私」は運命を映し出す媒体であり、それは「私」というものを代表する自由、孤独、思考を打ち消す。「私」の運命、などというものは運命の反転(零落)にしてファンタジー、誰もが理解できる世界記録のように他の誰かを期待している。


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