Saturday, January 23, 2016

碧空695 変装して先立つ如く

695 変装して先立つ如く  ヨハネはJesus Christの声帯の延長であり、ヨハネの生首は拡声器である。水のbaptism は聖霊のbaptism に先立つ如くであるが、そうではなく、Messiah の到来を浮かび上がらせる地なのである。同じようにして、聖霊のbaptism は血のbaptism(Dracula)に先立つのではなく、流行や躁鬱の循環のように地と模様が縁生的に反転して変装(変態)するのである。Messiah であれDracula であれそれがファンタジーであるというのであれば、それは、打ち消されて潜伏する地が変装して先立つ如くであるからである。  一体、baptism とは誰と入れ替わっているのか分からない究極の隣人性である。そうした変装が、outer space やpsyber spaceにエコーしたものがAlien や検索ロボットであるが、その、局在との区別をおかされた遍在や汎フォーカスのそぶりは世界記録のように他の誰かを期待して孤独である。つまり、「自由、孤独、思考」ではなく「狐憑き、類、生首」が変装して先立つ如くなのである。  ところで、ヨハネの生首に拡声器であることが顕れているために、サロメはサロメの舌がサロメとは別の源泉から伸びていることを度忘れしている。舞い踊るサロメが落とす影が「狐憑き、類、生首」であることを。これは、サロメが知らぬ間にヨハネから血のbaptism を受けたのである。吸血の起原は吸われること、能所が反転して変装、先立つ如くである。

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