Tuesday, February 16, 2016

碧空711 ターミュールに巣くう懸念

711 ターミュールに巣くう懸念  「バベルの塔」の症状の再発:反語や、しるしと意味とが区別されない(意味が出現すると同時に(しるしと代謝して)潜伏する)隠喩は、脱隠喩である言語を不能にする。潜伏するのではなく並列に留まるならば、それは脱隠喩である。標準的に翻訳し得る隠語や古語や方言や外国語の水準で登録されることになる。その違いは、惚恍のような模写発作が起こるかどうかである。  「バベルの穴」(「断章」F.Kafka )を掘り下げる方角で「オドラデク」は脱隠喩の水準にはない。オドラデクの振る舞いは他の誰かを要請するかに見えるが、惚恍のような言語の麻痺だけが危うくも「オドラデク」の目じるしになる。法則的、歴史的な網目からは悠久に逃れ去る。それは、防衛するかに見えるが「どこか投げやりで、夢みるような長時間のまなざし、夢みがちな回想ともみえる微笑」を仏法のように放つ。  脱隠喩的な網目から漏れているために、ターミュールのユダヤ教会堂に棲みついた貂ぐらいの大きさの青緑色の動物は、捕獲して遠くへ捨てて来ることが「追放」というのであれば、「追放」できない。(「断章」F.K )  それは、長い首、三角形に尖った顔、水平に突き出た上歯、上唇の上に歯よりもさらに長く伸びた剛毛、代々引き継いで繰り返し眺めて来たあとで恐がっているのは女たちだけであることからすると、この青緑色の、年老いたとはいえなおも敏捷に空中跳躍する動物は、教会堂に棲みついているというよりは女たちに棲みついているのであり、うわさのように飼い太らされているのである。女たちは、年々痩せ細っていくターミュールの集落の特殊器官で、男たちよりもその感度は高く、「オドラデク」の懸念が家長に転移して家長の懸念であるかのようになるように、この青緑色の動物の懸念こそがターミュールに巣くう懸念を(迫害や陰謀や眠気に変装して迫る「委託」の記憶と予感を)前触れている。

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