Wednesday, February 17, 2016

碧空712 正体の知れない優越

712 正体の知れない優越  ターミュールの懸念を映し出す鏡(媒体)としての青緑色の動物の懸念が、ターミュールの懸念が映し出す鏡像になる発作的反転は、意識がそうであるように、脱隠喩である。  同じ発作的反転が、非ユダヤの懸念とユダヤの懸念との間にももちあがるために、それは「普遍的」だとカフカは指摘する。非ユダヤはうわさのように漂う流浪の民の懸念にじかに触れて何に触れたか分からずにぞっとする、あるいは楽しげであるかも知れないのは、その「驚愕、懐疑、嫉妬、恐怖」が「自信」のような何か正体の分からないものに変質するからである。イタリアの舗道を歩いていて、トカゲが足元から跳び上がるのは何度味わっても楽しげであるが、しかし酢漬けになった胡瓜が入れてある大きなビンのなかで何百匹ものトカゲが絡みあって這い回っているのを見ると俄然、空気は再変質する、というのである。(「日記 1911年」F.Kafka)  うわさのように漂わないように、現実になるために、ユダヤは非ユダヤを要請する。しかしそれは、打ち消されて潜伏していた非ユダヤの輪郭が浮かび上がるようなもので、非ユダヤを脅かすことになる。非ユダヤが寛容になれないとすれば、この、ユダヤの奇妙な、正体の知れない優越が気懸かりなのである。

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