碧空715 究極のリンチを癒す転位、錯乱
715 究極のリンチを癒す転位、錯乱
俗に「時が癒す」というが、この世のものを正に現実にする究極の影、究極の場所は、緊張の解としてのこの世のものが緊張を解くのである。問としての緊張は疚しさとなって潜伏し、問と解の関係は罪と罰の関係に転位する。
記憶と予感や罪と罰の区別がつかない緊張(気懸かり、あるいは気配)も「知」と呼ばれるのなら、それは脱隠喩(平均化、提喩)を通して制圧することとしての知とは違うが、知は拡大する。知がこの「知」にじかに触れて何に触れたのか分からずにぞっとするとすれば、それは、知り過ぎたのである。というのも、知はのたうつ「知」に目隠しして目覚めないようにしているからである。「知」には、見てはならないという反語的禁止がかかっている。
知の技法は、問が解に先立つようにする。問と解、罪と罰が区別されない痙攣や苦悶を(他の誰かを要請しない究極のリンチを)楽にするために分割して、区別があるかのように解離する。それは、鈍磨や麻痺とは何か違う。のたうつが目覚めないようにするのである。
癩病やサリドマイド奇形や佝僂や水俣病は、まるで罰のようであり、まるで罪のようであるが、この裂目を(罪を映し出す罰を)分割して「真実」のようなものにする。それは、まるで罰であることが癒すかのように、或いはまるで罪であることが癒すかのように鎮める。これは、奇妙な転位、錯乱である。


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