Sunday, February 28, 2016

碧空719 一隅の症状(見張る脇役たち)

719 一隅の症状(見張る脇役たち)  窓枠にくっきり(劇化されて)のぞいている階段が、一隅の症状で、密かに光っている。この密度の高さは、追跡や陰謀の気配には変装しないでいるが、目配せして迫る。脱隠喩が解け、その崩壊の光に照らし出されるのである。  慎ましやかに暮らしていただけなのに箱舟に乗り込むものとして口惜しくも選ばれずに、大雨にずぶ濡れになりながら船窓の中を苦々しく覗き込んで責めてもの反抗に見張る脇役たちは、一体何なのか。これはカフカの身に起きた問であるが、苦の霊的抽象としての罪は、苦の最終状態(苦が占める場所)となって潜伏して、苦と解離する。しかし、洪水が及ぶ脇役たちの苦と罪(場所)が解離しないのは、どこにも逃げる場所がなく(nowhere to hide )、隠れないことから分かる。  躁が鬱を、鬱が躁を見張る、あるいは「自殺者」が「独身者」を、「独身者」が「自殺者」を見張る二重生活(碧空720)のように、運命と科学は、narratorの症状の変態である。どちらも、種の関心の、その諸々の問と解に迫ろうとする。一方の症状を、打ち消されたもう一つの症状が超越的に見張る。同じようにして、箱舟(nowhere to hide )に収容されなかった脇役たちは単にうらめしげに船窓をのぞき込むのではなく、見張るのであり、洪水(nowhere to hide )は及ぶが滅ぼされないのであり、顔面にかかる隠れなさの、その症状の変態なのである。

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