碧空728 「迫真」と「真空」の間に、「パリ、1922年」
728 「迫真」と「真空」の間に、「パリ、1922年」
それは、透視と透視不能の間に振動する。
「植物園のほの暗い蛇小屋の中で、二人のセネガル人の兵隊がキング・コブラをからかっていたが、その小柄な褐色の肌の男が跼り、赤いフェズ帽で打つ真似をすると、蛇は激怒して、左右に体を動かし、鎌首をもたげるのだった。」(「パリ、1922年」E.Hemingway)
そこでは、百年にひとたび通りかかるニルスの大視症のように「パティニョール行きの七時のバスの混んだデッキに立っていて」目撃する。「バスが街燈に照らされた道をよろけながら走っている間、夕食のために家路に向う乗客たちは、車が雨で濡れそぼっているノートル・ダム寺院の前を通り過ぎても、読んでいる新聞から全然顔を上げようとしなかった」、その、何もかも「どこかで終わったに違いない」気配を透視する。透視は続く、「カンボン通りとベルンハイム・ジューヌ店の間のマドレーヌ大通りで男を拾う片脚の売春婦が、ある雨の夜、肉付きのいい赭ら顔の監督派の牧師に雨傘を差しかけてもらいながら、跛を引き引き人混みを縫っていく」が、これは本当に1922年のパリなのだろうか。しかし、こうした懐疑がかかった方が目撃は迫真なのである。「メー・デーの日、群衆がマイヨー門を通り抜けてとつぜんパリ市内へ戻ってくると、警官が刀剣をもって彼らに襲いかかっていくのを」、更にズーム・アップは「大学予備門のクォーター・バックとでもいった感じのする、二人の警官を襲ったばかりの十六歳の少年が打ちのめされて血の気の失せた顔」を拡大、スロー・モーションを羽織るまでに拡大して、透視不能になる。
この目撃は猛禽類の、広角レンズと望遠レンズを同時にはたらかせる猛禽類の捕食様式に肉薄し、目撃するだけでそれは、1922年のパリを迫真にする。それは、ローレンツ博士が飼っていたホシムクドリが部屋に一匹の虫もいないのに忽然と「真空」に羽ばたいて(胃袋のど口腔から発条仕掛けで手が飛び出したかのように)襲いかかり、嘴にとらえ嚥下した、まるで夢精のような(鬱勃として、盲目の、不随意の、霊的)捕食、蠢く空腹と食欲の練習に酷似している。


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