Monday, March 14, 2016

碧空729 夢精のような捕食

729 夢精のような捕食  一体、宿主の胴体を食い破って飛び出して来るAlien の幼虫は、夢精のような捕食、蠢いて飛び出す胃袋の霊的気配の透視である。この食欲の延長は性欲との区別がおかされている。  物語る目、「ちょうどその頃」とか「同じこの場所で」というように猛禽類の目撃が分節される遍在する窃視の効果すなわち寂漠は、夢精のような捕食の大気(隠れなさ)である。この夢精のようなズーム・アップの報告は、次の通り(「日記」1911年、F.Kafka)、しばしば狙撃(被狙撃)である。  標本1:「一人の紳士が近くに急いで乗りこんできたとき、汽車は動き出そうとしているように見えた。ぼくたちは急いで別れを告げ、互いに握手した。ぼくは帽子をもち上げ、それからそれを胸につけた。そしてぼくたちはあとへ下がった、ちょうどだれでも汽車が出るときあとへ下がり、それで何もかも過ぎさり、これで満足したことを示そうとするときそうするように。しかし汽車はまだ出なかったので、ぼくたちはまた近寄って行った。」「突然、汽車はゆっくり動き出した。クルーク夫人はハンカチを振る用意をしていた・・・ハンカチをひらひらさせた。ぼくは帽子を上げた、最初はぎこちなく、それから彼女が遠くなればなるほどますますのびのびと。」あとになってぼくは、「その汽車が実際には発って行くのではなく、ぼくたちに一芝居見せるために、駅構内の短い区間を走るだけで、それから沈んでゆく」という印象を受けたことを思い出す。  標本2:ネルーダ小路で一枚の看板に呼び止められる、「アンナ・クシゾヴァー。裁縫師。フランスで、元アーレンベルク皇女たるアーレンベルク公爵夫人に師事して修行」。  標本2の、呼び止められる散歩の印象は「素晴らしい孤独」、しかしそれは孤独なのではなく、程度としての孤独に零落していた極端に私的な気配(complete privacy)が蘇生しているのである。百年にひとたび通りかかるニルスの大視症が極まる限りで、このおかしな二重生活の、そのユーモアは沸々とあぶく立つ。  ところで、精神分析的に物語る目は、症状に潜む霊的命令を透視して、その衒奇ともいえる二重生活の痙攣的な裂目を分割して宥めようとする窃視であるが、その暴露の効果は無底(暴かれなさ)である。顕在化して解消したかに見える霊的緊張は、しかし顕在化する限りは別の緊張が潜伏して「一芝居見せる」のであり、その「一芝居」(別の症状)の発芽(本質の崩壊)を以て狙撃して来るからである。

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