Saturday, March 26, 2016

碧空737 透視の瞬間、瞬間移動(もっと大きな問)、透視の麻痺

737 透視の瞬間、瞬間移動(もっと大きな問)、透視の麻痺  隠喩はむろん「変わり易い力」であり、変態する。透視、救出を待つ症状、透視不能である。Jesus Christはオイディプスを潜在内容として意図された隠喩ではないが、オイディプスを透視する瞬間、オイディプスはJesus Christの霊的形式になる。それは、隠喩も、伝播と素材を間に合わせた即興的変形も意図しない瞬間であり、もっと大きな問、もっと広闊な問としての種の夢(「郷愁」)の、その即興的例解、つまり、方解として瞬間移動している。  隠喩が眩惑的な光を放つとすれば、それは透視だからである。潜在内容を顕在内容として透視するのである。しかし、ゴーストのかかっていない隠喩はもはや透視ではなく、透視不能の現実としての比喩、潜在内容を映し出す顕在内容と潜在内容とが解離しないのではなく、解離して、場所となって潜伏した霊的形式(潜在内容)に顕在内容が映し出された鏡像である。ユングが方解としての瞬間移動を好んで扱うのに対して、フロイトが扱うのは透視の瞬間であるが、透視を保存しようとする野心は、透視の気配を消してしまう。透視の麻痺であり、この凍結保存を通して透視不能や救出を待つ症状に変態してしまう。つまり、精神分析は、食欲と性欲の区別をおかされて変態(「変わり易い力」)を扱う文学に属するのである。

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