碧空738 悪魔的な監視と野心
738 悪魔的な監視と野心
ハンスが屋根裏部屋になるということは、ハンスは屋根裏部屋を占めないのであり、屋根裏部屋がハンスに潜り込むように揮発するのである。 オスカルの皮膚の下に潜り込む「黒い料理女」もそのようにしてオスカルを透明にする。
解が問を映し出す透視(隠喩)から、場所となって潜伏した問が解を映し出す透視不能(鏡像)へ反転することが、意識の出現である。科学は、専ら鏡像(この世のもの)を扱っていると思い込んでいるが、知らず知らず変態を扱っていて、文学に見張られている。
遍歴とは、何かこの世のもの、何か重いものになろうとすることである。ニュートリノを巡る遍歴は、科学として文学を透視する隠喩であり、それは文学が霊的形式になる瞬間である。
風神雷神図 半具体
風神も雷神も人の姿を借りていて、透視不能(この世のもの)ではないが、透視の麻痺である。つまり、救出を待つ症状、この世のものに成り切らない半具体である。一体単数なのだろうか、複数なのだろうか。半具体では、単数と複数の区別はおかされている。
悪魔的なものの二重の瞞着
1 この世のもの(透視不能)になろうとして直しさや「私」、寿命といった擬態を鎧うこと。
2 その効果として、真偽、善悪が区別され、その偽と悪とだけを悪魔が分担すること。真と善は一体誰の管轄なのか。しかし実は、知らぬ素振りで反対命題を見張るのは悪魔なのである。しかしそれにしてもなぜ悪魔は擬人化され(従って)単数と複数の輪郭があるのだろうか。それは、半具体が金縛り状態であるが、希望の症状であることを隠すためである。悪魔的なものは、反対命題に依存している気配を消そうとするが、それは自ら(半具体)にも及ぶ。
Jesus Christの二重生活は、見かけはオイディプスの反対命題であるようで実は、オイディプスの二重生活のように救出を待つ症状である。ここにも、悪魔的な監視と野心が潜んでいる。錬金術の二重生活も、問としての文学と解としての科学が解離し切らない混合種(半科学半文学)で何か藻掻いていて、精神分析のように見かけは救済であるが実は救出を待つ症状なのである。


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