碧空739 「自分の背中が見える「猛り狂う無」」(「日記」1913年11月F.Kafka)
739 「自分の背中が見える「猛り狂う無」」(「日記」1913年11月F.Kafka)
概算すれば存在したことにもならない無も同然の個体、つまり、何か個体にも成り切らないで場所を占めることに面してそのことが疑わしく、一体無が場所を占めることがあるものだろうか。そうではなく、無は場所になって姿を晦まそうとするためにこの場所は無を映し出すのではなく、それは、無が場所と解離し切らない不随意の意識の何か力みのようなもの何か焦りのようなもの、半意識(dwarf consciousness)、夢の中で「自分の背中が見える」ように(自分で自分を追い越してしまうように)場所が場所であることを追い越してしまい、何もかも虚構で平べったく、どこか霧の中に宙ぶらりんになっていて、無が場所の霊的形式になる透視の瞬間ではなく、場所を透視不能にして意識になる瞬間でもなく、場所の場所となって潜伏し切るのではない(見えないはずの場所が見えてしまうような、聞こえないはずの場所が聞こえてしまうような)救出を待つ症状なのである。
とすれば、遍在する窃視は救出を待つ症状ということになる。


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