碧空752 正体を現わす復讐の瞬間の感応
752 正体を現わす復讐の瞬間の感応
誰もが塵になる基督教の風土で育まれた錬金術や進化論は、その、絶景に出る(誰でもなくなる)下降と救済に基督教的監視と救済が変装したのである。摂理が変態して擬似摂理の監視と計画と制御の下に入るのである。
モンテ・クリスト伯の屋敷に忍び入ったカドルッス(トゥーロン刑務所元第58号囚)が窃盗に頓挫しただけでなく手引きをしたベネデット(同第59号囚)の計略に嵌められその修正線上で強殺されることになる思いがけない(モンテ・クリスト伯にとっては想定していなかった)展開は、モンテ・クリスト伯の復讐計画の、その擬似摂理から擬似と主格が脱落してしまう。というのも、この、予定から逸脱した偶然は、モンテ・クリスト伯がブゾーニ司祭からウィルモア卿、ウィルモア卿からエドモン・ダンテスへと次々と変装を解いて正体を現わす瞬間の、その喜びへの渇きを癒すことを通して擬似摂理を挽回し、その監視下に回収されるかに見えて、偶然というものの霊的形式である摂理の検閲、監視下に蠢くものだからである。擬似摂理の座を占めるモンテ・クリスト伯は誰と入れ替わったか分からないように変装して神出鬼没であるが、実は呼び出されているのである。(「モンテ・クリスト伯」大デュマ)
ところで、正体を現わす復讐の瞬間の愉悦は、宝物が本当の持主の接近に感応して光り出すように、正体の顕現に感応する限りで光り出す。しかし一体誰が感応するのだろうか。その感応の座には、というより、どの視座にも「私」の視座が潜り込んでいるのに、潜り込んでいないかのように振る舞わないか。モンテ・クリスト伯の感応が盗まれていてエコーするために光り出すのである。


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