Sunday, May 01, 2016

碧空761 「遠方からの影響」の正体

761 「遠方からの影響」の正体  思考の不随意症状は空想の闖入に変装し、むだな能力、と感じられる。プラハ、シャーレン通り一番地、アドルフ・ブロート宅でFが隠沼のように出現したのは、Kの鍛え上げられた究極の空想の闖入であり、「遠方からの影響」は、「アメリカ」(F.Kafka )の奥地へ深々と失跡するKarlに及ぶ好意の気配に匹敵する。しかし、プラハ、ニクラス通り36に住むKの鍛え上げられた心臓虚弱の鼓動とベルリン、イマーヌエル・キルヒ通り29番に住むFの生彩は、解離する。ベルリンを覆うFの生動は、「自由意志」のように転がり出たKの心臓が目を見ひらくのであるが、その光る生動の正体は身近過ぎて分からない。この、こんなにも遠いのにまるで吐息のように近い、と感じられる距離の失効は、果たして、むだな能力なのだろうか。  「遠方からの影響」の成就は即興的にして偶然、Fはこの世のものになるために罪に罹る如くであるが、それは、ルイ十四世が君臨するために瓜二つの双子の片割れが鉄仮面を被せられてサント・マルグリット島に幽閉されるようなもので(大デュマ)、ルイ十四世と鉄仮面の関係は偶然と擬似摂理の関係である。J.J.Rousseauを遠巻く陰謀の気配も、Rousseauが漠として監禁している鉄仮面のような存在からの影響である。偶然に零落した太陽王の霊的形式が鉄仮面であるように、Karl(偶然の失踪者)に好意の気配を及ぼして導くのは所在の知れない「オクラホマ大劇場」であるから、「遠方からの影響」とはユーモアである。空想の闖入としての偶然のFはKの三幅対の「心臓と睡眠と消化」(大地のように何よりも身近で何よりも疎々しいもの)に導かれるのであるから、不随意性の正体はユーモアということになるのか。それにしても一体、このユーモアは、偶然の反対命題として、むだな能力なのだろうか。

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