Saturday, May 07, 2016

碧空765 不意の眩しさに視界が暗黒になる(羞明)

765 不意の眩しさに視界が暗黒になる(羞明)  Dracula は、嵐などの自然の猛威(ELEMENTS)を操るのではなく、部屋になって鏡に映るDracula の、その場所が崩れかかっている猛威の隠喩である。凡そスフィンクスや鉄仮面やDracula 伯爵のような半人半獣、半具体は、UFO のように回避できない気配が迫ることと、回避できない気配に迫ることとの間に変態して、救出を待つ症状、罪に罹って、崖のように崩れ癩のように崩れかかっているのである。鏡に面して場所あるいは疚しさが映ってしまうような怪物は、隠れなさと暴かれなさの間の羞明(すなわち)不意の眩しさに、視界が暗黒になるのである。  透明人間も羞明に罹っているはずであるが、俗にその苦悩が孤独であるとして、それは、場所との区別がおかされている熱平衡(輪郭喪失)に疚しく抵抗しているということである。  ところで、「雪間」(久生十蘭)では、偶然の姿をかりる摂理のユーモアあるいは神秘が、事故に見せかけた謀殺の被害妄想あるいはミステリに零落しているが、そのトリックは羞明が病気として世俗化することである。一体どのようにして、殺す者と殺される者とに岐れる不平等がもちあがるのか。カインはどのように弟殺しをするのか、殺すことになるカインあるいは殺されることになるアベルにはそれに先立って一体どんな表情や徴候がそれぞれの顔にあらわれ、身振りにはどんな歪みや痙攣や硬直が生ずるものなのか、蔽いかけるヤーウェの大きな顔と窃視と誘導の気配に、カインはどこにいても羞明と魅惑に罹るはずである。「黒い手帳」(久生十蘭)では、この羞明と魅惑が、超然としてむだな能力とも見えるルーレットのまるで「自由意志」のような澄まし込んだ目の出方として世俗化している。

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