碧空790 うわさのように漂う半「女体」
790 うわさのように漂う半「女体」
「巴里の青髯」、1914年春から1918年春までの間に283 人の女性を惑わし、最悪の場合そのうち193 人を始末して、巴里の人々の夢想を刺激したアンリ・レシェ・ランドリュがヴェルサイユ市聖ピエール監獄の門前でギロチンにかけられたのは1922年 2月、始発電車が轟く未明である。久生十蘭の記述が実際の猟奇的殺人事件に基づくような観を呈するのであれば、それは虚構の(虚構の気配を消す)野心の光栄であるし、その事件の細部の迫真は擬態の(擬態の気配を消す)野心の満足であるが、巴里の人々の夢想を潤したのは、アンリ・レシェ・ランドリュに15世紀の青髯ジル・ド・レェヌ男爵から管を通されているだけでなく、男爵の肖像にそっくりのランドリュの逆三角形の顎髯が「海からあがった海豚の肌のように蒼光りして」とか、青とも灰色ともつかぬ曖昧な色合の「瞳の底に催眠術師のような磁力があって、動かぬ眼差でじっと眼のなかをのぞきこまれると、みなふしぎな酔心持を感じる」といったように、フランスの種の憧憬が青い水脈を曳いているからであり、犠牲になった283 人の女性が青髯にではなくVenus に導かれ、吹き替えられている秘密の症状が神話的に外在化した人面瘡(告白)あるいはオマエノコトナンダゾとおどす恐喝、さらには疚しさとなって潜伏する予言だからでもある。
つまり、物語から生還して吹き替えられているのは、みかけは空腹の旅をする青髯であるが、実は、乾燥の危機に際して続々と集結してまるで一つの生体のように「自由意志」のようにのたうって移動し始めるアメーバーの如く危機に面して青灰色の瞳が暗示する同じ方角に方々から感応して続々と誘導されるが真空を掴むはずの女たち(ギロチンの首穴間近のランドリュの語彙から引用すれば「豚ども」)で、経験と伝聞の区別を冒されてうわさのように漂う、この、一つの生体のような「女体」なのである。ランドリュはこの、集いて個以上のようでいて誰かでも何かでもない半「女体」の奥からどんなスーパー・ヴォイスを耳にしたのだろうか。「いまあって、もうない自然現象を見るような」個々の女の屠殺と解体は、まるでその目に見えない正体に迫ろうとして気をとらわれているかのようなのだ。ランドリュは、真偽がどうでもいいのではない人格であるが、この、うわさのように漂う半「女体」は、真偽などどうでもいい。


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