碧空806 Henri Beyle(Stendhal(Sphinx))
806 Henri Beyle(Stendhal(Sphinx))
「これは本当にワーテルローの戦いなのだろうか」といった驚き(懐疑)に寄生するのは、不随意に湧いて来る履歴改竄、嘘以上の何か真実以上の何かである。
「これが本当にパリなのか」、「これが本当にあのグルノーブルのアンリ・ベールなのか」 墓碑銘を「ミラノの人アリゴ・ベールの墓」としたStendhalの問いかけはSphinxのように問いかけるのであり、オマエハ誰ダ、と奇形嚢腫のようにエコーするのである。
魂を映し出すこと(媒体であること)から魂が映し出すことへ反転、転位する擬態は、意識が媒質のように包んでこの世のものを明晰にする。意識は文体のようなものであり、形式や種のように「無意識的なもの」であるが、解離するのである。三枚続きの一枚として、しかも全体を孕んで出現する H・Bの輪郭を限界づける文体のような場所がStendhalと呼ばれる嘘以上の何か真実以上の何かであるが、この意識の視座は、のぞくのかのぞかれるのか能所が解離しない富岳の視座のように、突如として高所なのか低所なのか見極め難くなって、場所の場所が浮上する。これは、意識が「無意識的なもの」であることの解離が「ちょうどその頃」解離しない、といったふうだ。場所を限っていた境界壁や膜が透明になって、感官が及ばなかったのに及んでしまう。媒質変化であり、拡張であるが単なる拡張ではなく、別の重力場に出たように予想より伸びてしまう、あるいは予測より落下してしまい、思いがけない。
しかし、Stendhalと呼ばれる予期、不随意に湧いて来る履歴改竄、嘘以上の何か真実以上の何かを巻き込む媒質変化は、大気が寂漠になるような「ちょうどその頃」ではなく、意識が「無意識的なもの」の影響を躱せなくなっていて、そのことの症状として「無意識的なもの」が閾を越え出て来るがまるで「自由意志」で、というふうに湧いて来るのだ。Stendhalの叙述は、こうしたスーパー・ヴォイスなのである。


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