Thursday, July 21, 2016

碧空811 未完成「の」幸福

811 未完成「の」幸福  北向きの部屋が映し出す「くもりのガラス、空ろな目の色、とかしたミルク」は「あれが始まるのではないだろうか」というような即興の前駆症状で、Tolstoi の青年期に「あれ」が憤る如く起こるとすれば、それは、「未完成の幸福」、ライ麦畑に潜む「貴婦人と一角獣」(J.Genet )のようなもので、ライ麦畑が映し出す「百姓の顔貌」は渇き切っていて、上品振りの綾としての「無関心と倦怠」の陰翳は実は求愛ダンスや婚姻色なのにしかも保護色も兼ねている。鬱然とした種の関心に素材がついて来ない欠如を「無関心と倦怠」の偽装で埋め合わせるのである。  「あれ」が霊的気配のまま迫ることが、「あれ」がライ麦畑に潜むことであり、「起こらなかったことを思い出す」透明、ライ麦畑が映し出す不完全な出来事として「貴婦人と一角獣」は、不完全な場所としてライ麦畑に地震のように潜むのである。「未完成の幸福」とは、いつまでも1にならないことの幸福である。北向きの部屋を透明にする「くもりのガラス、空ろな目の色、とかしたミルク」は静まり返っているが、何をしようかというように(今すぐにも何かを思い出さなくてはならないというように)ざわざわしている。

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