碧空818 暴れる影に笑う
818 暴れる影に笑う
ニコライ・ボルゴンスキー公爵(「戦争と平和」Tolstoi )が頑固に守るのは身分の差で、その秩序を補強するためにも、日々の生活の規則正しさは厳密を極める。身分の差、階級は分業であるが、それが現実になるために落とす影は媒体性である。分業は、媒体性が社会の次元に転位して潜伏、その擬制の気配を消している。神と塵、霊的命令とこの世のものが解離した超絶落差が、例えば総指令官と抹消の兵卒との間の懸隔に転位する、その擬制の気配を消している。家長と子孫の間の懸隔にもそれは及んで、命令と服従が懸け離れているが何か似ていることに触れることを躱すように、公爵の生活振りは厳密であるべく律せられる。本能のように自律的であるが不随意なのである。
そうした、目を瞑ってでも「見てはならない」裂目、擬制の失効、擬制の気配が消せない超絶瞬間を嫡子アンドレイはうっかり見てしまう。樹木を象ったボルゴンスキーの系図である。それは、どの世代にも生きる命令が属さず、どの世代も手段である(に過ぎない)ことを、影落としていて、擬制の気配が消せないで尻尾を出してしまっているのである。アンドレイが不覚にも笑うのは、嘲笑ではなく、分業というものが逆転位してユーモア(暴れる影)が迫ったのである。
しかし、実体の落とす影が関係であることに目を瞑る限り、貴族の生態と虐げられた生態の関係が命令と服従の関係や、消費と生産の関係、消費の生産と生産の消費の関係のような別の関係に、症状が別の症状に変奏するように転位を重ねる。この世のものとこの世が何か見極め難いのは、解と問の関係が解の次元に転位して、問の解と、解としての問とが混同されるからである。しかし、代表とは、それが隠喩的であれ平均化であれ提喩的であれ、混同して解離することである。ニコライ・ボルゴンスキー公爵がボルゴンスキーの系図を代表する限り、手段と最終状態、解と問、媒体と霊的命令は混同されて解離する。


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