碧空822 荘厳発作
822 荘厳発作
(誰にも見られていないが、隠れない)原初の捕食の瞬間の、この特異点は、大伽藍が反復して保存しようとする麻痺、荘厳と呼ばれる発作も起こす。パニック映画が繰り返し呼び戻そうとするのは、恐慌が不完全に場所を占めないように(不完全な出来事にならないように)影落とす荘厳である。パニック映画の冒頭で、間もなく恐慌の現場(不完全な場所)で居合わせることになるのも知らずに山岳を隔てた隣人たちのいつものありふれた日常の始まりを窃視する寂漠(発作)は、大気が媒質変化する荘厳(発作)の前触れである。この前触れそのものも、決してありふれていることにはならない媒質変化である。
逆に大フーガ(Bach)が呼び戻そうとするのは、荘厳が不完全に場所を占めないように影落とす恐慌のはずである。
Nietzsche がグロテスクなのは、思考の恐慌が孤独の剥奪で、自由から懸け離れ、蛸のように胃袋なのか脳なのか、その(見てはならない)目の位置異常が「誰にも見られていないが、隠れない」のである。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home