Friday, August 12, 2016

碧空826 霊的形式(トランシルベニア!)

826 霊的形式(トランシルベニア!)  ピエールの、新たな贅肉となって輪郭を探して次々と(しかしスロー・モーションで)脱け出す彷徨は、ストロボ写真のようでも、エクトプラズムのようでもある。フリーメーソンはいつの間にか究極の隣人の気配を消す。精々いつ態度を変えるかも知れない危険な隣人たちというほどのこの世の人脈でしかなくなって、秘密な「高い空」も「服従発作」も目の位置異常を取り消してしまう。フリーメーソンの位階や分業や議論は、隣人がいつの間にかアンドロイドと入れ替わっているような、そこだけCGであるような(何も変わっていないのに取り替えられてしまっている)極端に私的なフリーメーソンの気配とは懸け離れている。法則的、歴史的な保存は、Messiah を透視しない。ピエールの鬱々とした新たな肥満は、こうしたフリーメーソンの変態を、ストロボ写真のようなエコーの次元に転位して発作的になぞる。  一体フリーメーソンの変態は、全体が増殖するのか減衰するのか、これは、全体というものが予定調和的な夢想であるために、思考の恐慌である。それは、Nietzsche が市から別の市へ、間借りの部屋から別の間借りの部屋へストロボ写真のように次々と脱け出そうとしても中間突破に頓挫するのは中間というものが夢想だからであって、しかもいつまでも1にならないことを模写していて、何も本来的ではないのに連れ戻されてしまっている、というふうである。それは、次々とエクトプラズムのように身分を脱け出して諸都市の諸々の事件に居合わせ、常陸坊海尊のように長寿の生き証人として、大地震のように扉を通らずに部屋に闖入して来てまた扉を通らずに部屋から出ていくサン・ジェルマン伯爵の、その霊的形式(トランシルベニア!)が人知れず生還しているような自律的な(従って不随意の)思考と声の贅肉である。

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