Tuesday, August 30, 2016

碧空838 毒草となって生え出ずにはいない

838 毒草となって生え出ずにはいない  鶴女房の落とす「見てはならない」異類の影のように、運命は自由や意識が落とす(懸け離れているが何か似ている)「見てはならない影」、「目には目を」式に贖う反対命題である。ミステリでは秘密の暴露は他の誰かの舌や声帯を通した告白であるが、罪は毒草となって生え出て顕れずにはいない衝動で、この「見てはならない」影(秘密)を分け合うために毒を盛ること(秘密を分け合うための禁止の反語性、その誘惑)が告白的であるにしても、それが毒を盛ることであるために秘密を分け合うことにはならない届かなさが、復讐譚の大気である。  「戦争と平和」(Tolstoi )では、19世紀初頭のロシア民族の危機に面して民族の問と、その問に見合う諸解と、その解を償う反対命題との分業の、その分岐した先で(つまり、命令と服従が解離して分業した先で)またぞろ命令と服従は解離しないで再発するために、分業は器官の延長であって、自明なのである。自明であるのは、それと知らず献身状態だからである。そうした、ロシア民族の媒体であることの一隅で、究極の隣人を(神的Erosを)見窄らしく身を窶した姿に目撃する。しかしこの、献身状態の目撃は日常の水準では起こらない透視であるから、毒草となって生え出ずにはいない秘密を(罪を)分け合うことにはならない。究極の隣人の目撃は、その頓挫である。

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