Sunday, September 04, 2016

碧空841 金貨となって道端に顕れずにはいない

841 金貨となって道端に顕れずにはいない  道端で金貨を拾うことは、何か復讐的なのはどうしたことだろう。それは何か秘密を模写するように告白していて、何か秘密の価値が模写されるように復活していて、あるいは贖われているのか、金貨となって道端に顕れずにはいない衝動が、しかしその、むさぼるような予期がなかなか質料化しない焦燥と疚しさのために、擬似摂理のようにしてしかもまるで急に眠り込むように深追いする大気なのである。  種の関心とは、種の霊的嗜好である。この霊的抽象の解凍は平均的であったり、逸脱的であったりする。蒐集の衝動は正統な嗜好を展開するというのではなく、霊的嗜好の奔逸、躁ぎ、偏執あるいは暴走であって、むさぼるような予期が質料化しない焦燥と疚しさと危機に面して、狼狽から暴発的に価値が他の何かへ跳び移り、価値が他の何かへ転移してしまったことにうろたえて益々深追いするというふうだ。  「アンナ・カレーニナ」(Tolstoi )の暴走も、心臓の音を探していて、急に顔つきが変わって眠り込むように深追いする。この暴走は失踪と区別がつかないのに、失踪とは扱われない。  消耗しないままに涸れてしまうのではないかという漠とした怯えが忍び込んでいるのではなく、むさぼるような予期がなかなか質料化しない焦燥と疚しさのために、アンナの誘惑の力の、その餌食が、不意に暴発的に跳躍して来て、失踪することになる。この誘惑の力は、アンナに属する色気というよりはアンナが間に合わされているに過ぎない、つまり、アンナが失効してしまうような純粋な献身状態である。しかしそれは、献身とは扱われない。Venus がかかって不随意だからであるが、失踪とも扱われないのである。

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