Saturday, September 10, 2016

碧空845 絶対の探求

845 絶対の探究  繁殖期や季節で羽毛の色彩を変える紅葉鳥(Quelea quelea )や移動する先々で獰猛に穀物を食い尽くす蝗の、その、空を埋め尽くす大群の度外れな増殖振りは、どこまで個体が増えれば種が実体になるのか追い込んでいるようである。それは、予定調和的な架空の「私」が、問を映し出す解を(場所となって潜み返る)問が映し出す、そうした宙返り(擬態)をどれだけきれば実体になるのか追い詰めるかのようだ。  これは、果てしもない蒐集が果てしもなく追い詰める絶対の探究のように、無の発見(の頓挫)である。同じようにしてNapoleonは、どれだけ国境を拡張すれば権力が実体になるのか深追いして断崖に出てしまう。同じようにしてNietzsche は、出来事でも場所でも発見でもない絶壁に出てしまう。 同じようにして鶴見俊輔は、繰り返しのぞき穴の向こうに馬蹄形のホースを(馬蹄形のホースが現れたために隠れた何か、何かにさえならない気配を)見に息を詰めて戻らないではいない。(碧騒306「息の詰め方」)

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