Tuesday, September 13, 2016

碧空847 身に覚えのない姦通

847 身に覚えのない姦通  媒体であることが秘密でなくなることは自由の失効であり、生贄であることが剥き出しになるのであるが、イサクの身体に生贄であることが顕れたためにアブラハムが生贄であることの度忘れ状態になるように、媒体性が性的次元に転写された姦通性がアンナの身体に顕れたためにカレーニンは身に覚えのない姦通に責められる。他の誰かが身代わりになることで度忘れ状態なのであって、カレーニンが落としている「見てはならない影」の形相は姦通なのである。それは、アンナの姦通に先立つために、身に覚えのない姦通なのである。(「AHHA KAPEHИHA」Tolstoi)  アンナの姦通はまるで「自由意志」すなわち媒体であることが隠れなく霊的であるが、それは「目には目を」式の復讐にも見える。というのも、「反対の頬も差し出せ」式の復讐の禁止はカレーニンの「見てはならない影」をそれと知らず白状しているのであって、つまり、寛大というのではなく単に復讐の資格の失効の偽装だからである。アンナがカレーニンの「見てはならない影」の形相をどのように嗅ぎつけるかは、ミステリではなく怪談である。アンナが嗅ぎつけるというよりは、アンナの姦通そのものがカレーニンの制御不能の人面瘡、まるで「自由意志」で発生している人面瘡の「見てはならない影」の思いがけない白状なのである。  ところで、「反対の頬を差し出せ」式の復讐の禁止は崇高はおろか僭越以上に何か猥褻というふうであるが、それは、「見てはならない影」が姦通性から性器に転移発作的に転写され、頬を打たれたら(狼狽から)性器を曝してしまっている、というふうだからである。Jesus Christが落とす「見てはならない影」も身に覚えのない姦通であるが、発作的に(頭を掻くように、首をしゃくるように)性器を曝した図こそは「釘づけの磔刑の十字」、究極の猥褻画像である。

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