碧空853 マニアと俗世の救済
853 マニアと俗世の救済
「偏執とは観念の状態にまで移っていった快楽のことだ。」(Balzac)
Balzacは、ほら吹きやけちんぼや蒐集癖や思索癖や女たらしや、様々な典型の、その偏執的追究と快楽、情熱と苦行、むさぼるような予期と焦燥を採取しないではいられないが、そのような個々の典型を偏執的に蒐集、探究、叙述することを通してどのような実体に迫ろうというのか。
紅葉鳥の超越的な大群の間に出現することがしかも潜伏(受胎)であるような種や全体は実体の如く(従って)観念と区別がつかないが、その、存在の能所が解離しない裂目(のぞき穴)が放出する忽光は、場所が意味にスリップするのである。繰り返し覗きに戻ることと、のぞき穴になることとは違う。繰り返し覗きに戻る偏執は催眠状態(媒体)であるが、のぞき穴になることは媒質変化、この世ならぬものの忽然とした出現である。存在の能所が解離することと解離しないことの間の振動は、それと知らず媒体であることと媒体であることが剥き出しになる解脱の間の区別を要請している。その限りで、1になろうと藻掻くマニアがおかしいように出没し、暗躍するのである。
俗世はコントじみることで救済される如くである。むさぼるような予期がいつまでも究極の隣人にならない焦燥から、マニアが埋め合わせるのである。


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