碧空854 1になろうと藻掻くマニアの出没
854 1になろうと藻掻くマニアの出没
一体Messiah が方解してmania が出現するようにも、諸mania の間にMessiah が鬱然と出現・潜伏するようにも見えるが、ともかくも「人間喜劇」(Balzac)というものの(マニアの出没・暗躍の)覚醒は救済の如くなのである。
目的と手段が解離した放火や窃盗ではなく、目的と手段が解離しないpyromania やkleptomania が制御不能であるのは、存在の能所が解離したのぞき穴を覗くのではなく、存在の能所が解離しないのぞき穴になるからである。この覚醒(媒質変化)は、嫉妬発作、極端に「私」のものでしかも極端に「私」のものではないスリップに面して(頭を掻くように、何度も手を洗いに戻るように、目を細めるように)火をつけ、盗るのである。のぞき穴になることは焦点の放浪であり、輪郭喪失であり、全身の皮膚が(笑うように、鳥肌立つように)性感帯になる痙攣的な極楽であるが、火をつけ、盗ることそのものが快感なのではない。アウトリュコスは、のぞき穴になって場所が意味にスリップする。アウトリュコスが盗んだ物の形を変えたり見えなくして韜晦するというのは誤解や誤伝のようなもので、アウトリュコスこそがタイム・スリップして姿を晦ましてしまうのである。
1になろうと藻掻くマニアのおかしいような出没は、神話的な対位法を「神経学」的に変換したものである。


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