碧空856 対の胡桃割り
856 対の胡桃割
対の胡桃割と揶揄されるポンスとシュムケ、しかしシュムケは、奥行がないかのように世界がつづく「独身者」ポンスがそれと知らず落としている「見てはならない影」すなわち、奥行があるかのように世界が終わっている「自殺者」が俗世に身を窶していて、二人の老音楽家(二つのマニアの受肉)は似ているが懸け離れている、ということなのだろうか。(「従兄ポンス」Balzac)
ポンスが気懸かりなのは、その、本当は誰にも渡したくない密かなハーレムの相続のことであり、あるいは人知れず震撼していることは、宝物は本当の持主が接近しなくても光り出すのではないだろうか、本当よりも本当の持主が接近すると本当に光り出すのではないか、というような嫉妬発作である。そもそも、嫉妬発作に面して火をつける、盗る、死蔵するといったマニアに転ずることは忽光の保存ではなく、とっくに崩れているかも知れない宝物を守護していると信じてはべり続ける怪物のように固定観念的になることである。そして、ポンスが宝物を遺そうとしているシュムケも、そうした怪物(の固定観念)のようにポンスを見張るようにして寄り添っている影、ポンスと瓜二つの反対命題なのである。


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