碧空866 メランコリーと戸惑い
866 メランコリーと戸惑い
「天空の」すなわち姦通の果実(Eros)が姦通に先立つということは、婚前に身ごもられたJesus Christにかかる観念でもある。異常な受胎にかかる「天空の」は、処女性を守るかに見えて、処女膜がこの世のものになるために打ち消された霊的衝動(問)を映し出しはするが「見てはならない影」を場所のように落とす何か不正な媒体(解)である、といったメランコリーと戸惑いに転位している。それは、鬱然として静物であることの戸惑いの如く静謐である。
この観念すなわち媒体性が、Venus の姦通性とその敷衍であるJesus Christの罪の相続とを貫いている。神々は目的と手段の解離しないmania的命令にして、Venusは姦通のために姦通する。それは、身を曝すことで隠れる擬態の衝動を躱せない。ところが媒体(被造物)も、絶対の不平等に身を曝すことで隠れるのである。


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