Sunday, October 16, 2016

碧空869 豪華とメランコリー

869 豪華とメランコリー  「何事もなかったかのようにまた一日が始まった」という物語の終結法は、何か深刻な記憶喪失を含蓄している。陽はまた昇り、「私」はまた呼び出されている。しかし、この「私」は括弧憑きでボーッとしており、しかしまたその惚恍は光となって消えたか光を出したかした裂目を(この世ならぬものの忽然とした出現を)模写している。Alchemist の褐色に色づいたメランコリーは、こうした、物語からの不思議な生還そのものであるが、擬態の諸衝動から来る漠とした輪郭喪失と豪華は必ずしも矛盾しない錬金術的憂愁である。黒化と白化と赤化は段階ではなく、放射線を出し尽くしてウラニウムが鉛になるような変脱でもなく、貨幣が商品に変わるような金融でもなく、いつまでも1にならないことが1である「天空の」擬態に被曝するのである。  Hollywood の的なものにかかる豪華とメランコリーは、覚醒の気配が違う。地上の擬態に零落した「天空の」擬態が覚醒するのではなく、神々の擬態を真似る擬似天空から地上の擬態に擬似落下するのである。「The Sun Also Rises」(E.Hemingway )は、天空と擬似天空と地上の間に振動している。(碧空537)

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