Wednesday, October 19, 2016

碧空871 ヨクナパトーファにparallelに打ち寄せる

871 ヨクナパトーファにparallelに打ち寄せる  1928年のコンプソン家の周辺でベンジャミンは二つのミステリを嗅ぐ。クェンティンと呼ばれている存在が娘の姿で現れること、キャディーと呼ぶ声はするが門の向こうに消えたキャディ(キャンダシー)が姿を現わすことはないこと、この二つの双子のトリックが解けないのである。1911年にキャディは婚前に身ごもっていた不義の娘を産んでクェンティンと名づけていたし、1910年に結婚や入学の資金を調達するために牧場は売却されてゴルフ場に変わっていたのである。  しかし、ベンジャミンにとって本当の神秘は、キャディのような木の(ようなキャディの)匂いや火の光、屋根の音のようなクェンティンの(ような雨の音の)匂いと精々分節される神経経路が、むさぼるように焦燥のように待機していて、その上り詰めて来る霊的抽象の即興的な諸解が出来事の前後が解離しないで交錯するというよりは、parallelだということである。しかも、その諸解の間に種のようなものが出現し、予期に満ちた単一の神経経路が実体になろうとして蔓のように伸びるのである。  同じ場所を巡ることでコンプソン家と呼ばれる空虚(火の光)は厚みを増し、奥行を深める。写真機か録音機のように目撃するベンジャミンの白痴性の、その、限られた神経経路は、富嶽や月の窃視が「ちょうどその頃」と分節されるように場所の場所を浮上させて參ト商ノ如シというのではなく、「同じこの場所で」と分節されるように神経経路の諸解がparallelなのである。ベンジャミンの軟禁状態は、敷地内に閉じ込められようとジャクソンの気違い病院に遠避けられようと、コンプソン家の赤ん坊という赤ん坊を育て上げてしかも誰よりも生き残る黒い料理女ディルシーの目撃を超える。黒い料理女ディルシーはYoknapatawpha の隠れなさに盲いてなお一隅に屈まっているが、ベンジャミンの白痴状態は、藤生の植物や誰かの潜んでいそうな配管が獰猛にのたうって伸びるYoknapatawpha にparallelに打ち寄せる空虚の、その能所の区別がおかされ、その告白と伝聞の区別がおかされ、その受身と自発と尊敬と可能の区別がおかされて隠れないからである。

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