碧空873 歯と歯茎を剥き出しに唾液を垂らして(スイカズラのように獰猛に)
873 歯と歯茎を剥き出しに唾液を垂らして(スイカズラのように獰猛に)
キャディが兄クェンティンを断念する叫びのような沈黙を、クェンティンはあさましがる。というよりそれは、いくら折檻しても女体から叩き出せない頑固な狐のような責め苦でしかない。コンプソン家の危機に面して、クェンティンの擬死発作は、クェンティンが人格ではなく、実在するというよりは、節穴から差し込む光の束の中に舞う埃のようにジェファソンの空気中にブラウン運動するかに見えて不断の落下に収束する者たちの名前が谺する「伽藍」、あるいは、ガラスの蓋が割れてとれ長針短針ももがれた懐中時計の腹で小さな歯車がわけもわからずにカチカチ鳴っているような「白痴状態」なのである。奇妙にも、擬死発作のエラーは、まるで水面へ出てぎりぎりのところで息を継ぐように記憶と意志を回復することなのに何か不随意な事態、死体だけでも公的になろうとする1910年6月2日の自殺である。(「響きと怒り」W.Faulkner)
こうした、光の中をカチカチ鳴って歩む「白痴状態」を鏡像のように公的にしたものがベンジャミンの白痴状態で、コンプソン家の末端に手相のように現れたのであるが、壁に架かった鏡の中に次元減衰して一瞬ドアのところに立った花嫁衣装のキャディは、1910年6月2日のクェンティンと呼ばれる懐中時計じみた身体の、その影の腹部を釘づけにして薄れるように歩むクェンティンとは逆に、受肉して(断念そのものとなって)鏡の中から走り出していく。単一の神経経路の諸解が交錯するというよりparallelなベンジャミンとは違って、クェンティンは、複数の神経経路が交錯するというよりparallelに谺するのであるが、「伽藍」の中に谺する名前、ジェファソンの空気を深々と吸った名前という名前はクェンティンの神経経路に一対一で対応する。
一対一で(しかしピンぼけで)対応する限りで、クェンティンは、歯と歯茎を剥き出しに唾液を垂らして(スイカズラのように獰猛に)物語から生還するのであるし、一対一の対応が恒常的になるように(キャディと木の匂い、クェンティンと屋根の音を一対一で対応させるベンジャミンの技術のように)神経経路は場所となって、深刻な記憶喪失のような「伽藍」となって潜伏するのである。


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