碧空885 夢想としての1の危機
885 夢想としての1の危機
Dracula とは、細胞や階級や民族や個ではなく輪郭喪失を維持するために吸血するのであり、一旦否定、嘘、夢、自食、運命、これらがこの世に入り込むともはや躱せなくなるように、また、純血の振りをする清教徒やナチスのように、究極の雑種性を躱せない。混血は傷痕を残そうとするが、同じ圧力で跡形もなくなる忘却にも曝されている。それは、夢想としての1は守るロマンチズムであるが、「流されて川下で拾い上げられる」というように発芽するモーゼが、人々を導いて漸く辿りついたカナンの地を眼前にして自身はそこに入れないのは、そこが有性生殖の土地だからである。
そこでは、言葉の危機は、全ての人称は第一人称からの蛇のような脱皮であるから、全ての人称が第一人称にスリップすることである。トマス・サトペンの屋敷を訪れた19歳のローザが荒廃した鼠蹊部へ踏み込もうとしていくら突進しても止まっているような世界の終わりで、「伽藍」の全貌をあらわした屋敷のどこからともなく管を通された姪のジューディスや甥のヘンリーやローザや一族の声帯を通して混血して、輪郭づけ区別する熱を放出して屋敷が種の気配になって実体であるかのようにして迫る、そうした、夢想としての1の危機である。(「Absalom,Absalom」)
大伽藍や、海の波の揺れ動きの荘厳と恐慌は、世の終わりの荘厳と恐慌の転位であるが、いくら突き進んでも止まっているローザの中間突破の頓挫は、すなわち「閉ざされた扉越しに耳を欹て、薄暗い廊下に身を潜めてこっそり窺う」蝋屈は、擬死発作である。


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