碧空900 アブラハムの技術
900 アブラハムの技術
生はこんなにも自明なのに、エラーではないのか。次元スリップするにしても、解離して自然が愚鈍に取り残されるにしても、解離疲労するにしても、unlearn の二重の運動はエラーと呼ばずにはいられない。
この世のものが映し出す「この世」が実は霊的(種の問)なのに度忘れするように反転してこの世のもの(種の解)を映し出す場所となって潜伏する零落も、歴史的なものが法則的なものを凌いでしまう落下も、隠れていたものが顕れる効果、何か「本当の」ものがあるかのような効果であるが、それは、何か埋め合わせられるのだろうかといった疑わしさのままに、何か度忘れしている疚しさのままに不断にスリップするのである。
アブラハムの場合、「普遍的なものよりも高く個別的なものが孤立する」(沈黙のヨハンネス)空中跳躍を恒常的にする技術から、その落下が零落にスリップして、モリアの山への騎行に三日と半日がかかるといった愚鈍に包まれる。この世ならぬものがこの世に入り込む背理(apparition-like suddenness)に面して、何か疑わしいというより、何か「本当の」ものがあるかのような気配に被曝するのである。イサクの、その異常な出生はErosの領域で個虫が部分の振りをする「再登場」の衝撃であるが、三日と半日を燔祭の旅にかけるアブラハムの技術は、この衝撃を拡大・劇化するのである。つまり、この旅はスロー・モーションを羽織る。


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