碧空909 普遍的なものに誘惑される試煉の、ギリシア的変奏
909 普遍的なものに誘惑される試煉の、ギリシア的変奏
イサクの身体に生贄であることが顕れたためにアブラハムは生贄であることの度忘れ状態にあるように、Jesus Christの身体に受肉が顕れる限りで誰もが自食であることの度忘れ状態になる。個虫が部分の振りをする空中跳躍が、落下から零落(媒体であることの度忘れ状態)に変態するのである。次元スリップが秘密になると神的ではなくなるのであるから、これに反して秘密を洩らせば神的でなくなるErosとPsycheの対い形成と生殖の場合は、何か倒錯している。
Venus の姦通の果実であるErosがその姦通に先立つという天空性がErosの対い形成にも及ぶことをPsycheが黙っていられずに息をもらすからといって、どうしてその子孫は神的でなくなるのか。これは、Psycheが息をもらすことの、その次元スリップ(自食)が解離する場合(零落)と解離しない場合(落下)との区別がつかなくなって単に混乱しているのである。
そもそもPsycheは黙っていられないが、その霊的記憶が次元スリップして受肉してしまう沈黙の空中跳躍であって、そのイロニーはErosに先立つ。PsycheはErosの「壁に写る影」であり、無性生殖的Erosの遡上にして「見てはならない影」であるためにErosは何が何だかわけもわからずに禁ずる如くなのである。つまり、PsycheとErosの関係は対い形成というよりは、普遍的なものに誘惑される試煉の、ギリシア的変奏である。


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