碧空916 クラッシュに狼狽して(転移発作としての)反省
916 クラッシュに狼狽して(転移発作としての)反省
その存在を問うことが存在についての問にスリップしてしまう、つまり、問うことが座礁してしまうような経験(の頓挫)の、その漠とした方面に、神とか美とか呼ばれる方面が気配づいている。それが何であるかという問の解は形式を与えることであるから、それが何処にあるかを問うことになり、その解は何を場所とするかにかかっているから、究極の場所である存在を問うことにスリップしてしまう。存在はこのようにして遠心分離するが、その諸相は存在というものの変態である。存在が次元スリップするイロニーから脱け出せないのは、存在というものが出現するために潜伏してしまう隠喩性から脱け出せないのである。
神や美は、普遍的なものに誘惑されているが不随意にクラッシュして沈黙してしまう経験を代表するのであるが、それは(従って)経験の沈黙、「存在」が座礁するような発見、神や美は存在していたが存在していない、といったクラッシュである。
しかし、クラッシュに狼狽して(頭を掻くように、人差し指の先を合わせようとするように、顔を右に左に回すように、辺りを見回して振り返るように)転移発作的に、恒常化の技術として遠心分離する諸変態の解離が反省として発生し、解離(反省)に迫る反省も、解離しないで(クラッシュして)肉薄する(しかし漠とした)潜伏の気配に狼狽して転移発作的に(頭を掻くように)再発するのである。


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