碧空942 いきなり二回目にして
942 いきなり二回目にして
二人マリアは同時なものの遠心分離で、抱かれる振りをして抱くというような、受身と自発と可能と尊敬が解離しない無性生殖の、その前景としての有性生殖が、その全背景を想い起こそうとしているかに見える。種の夢の奥行がホログラムであることが蔽い隠せなくなっているが、the Erotic を蔽う暴かれなさは、真偽がどうでもいいというのではない。無も同然の隠れなさは、真偽がどうでもいいのであるが、隠れなさが真実の振りをするのが暴かれなさで、そのようにミステリの秘密は真実の振りをするのであって、それが真実であるかどうかは説得の次元でしかない。
同じようにして、真の恋とは、実は真偽はどうでもいいのである。それは単なる始まりですらなく、いきなり二回目であり、埋め合わせであり、しかも間に合わせなのである。
処女作や初恋は、素材や前景と背景に遠心分離した状況を間に合わせて霊感が吹き込まれるのであるから、偶然の振りをして、いきなり二回目にして、天来の如くである。こうした種の夢の奥行は、ビッグバンが世界の終わりに安らうようなものであるが、一体、世界の終わりが先立つようなことが安らうことになるのだろうか。
こうした反問、すなわち自食する神(問)を問い返す反省も、物語(解)からの生還(いきなり二回目にして物語ること)であり、初めてなのに二回目であることの世界の不安が、遠景、中景、近景に遠心分離して、神話、双子のトリックやタイム・スリップやアンチノミー、振動する素粒子やビッグバンに見える。


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