Monday, February 20, 2017

碧空954 まるで自生状態

954 まるで自生状態  身体の孕む関心の抽象性が焦燥や疼きといったふうに受肉しあぐねるように、言葉が孕む関心の抽象性が次元スリップし切らない金縛り状態は、言葉が孕む一般化された問と個別化された解とが解離し切らない状態で、言葉はまるで自生状態である。それは、まるで実在するかのようだというのではなく、蜃気(あるいは淵)なのである。「思いがけない景色に、和蘭陀に流される」がまるで自生状態であるとすれば、それは、「思いがけない景色」(としての「思いがけない景色に、和蘭陀に流される」)に淵に出るように出て、しかもそれがそのままに「和蘭陀に流される」ことなのである。  同じようにして、トラウマが孕む関心の抽象性が抽象のままに受肉して、トラウマはまるで自生状態で、淵に出るのである。トラウマは実在するというのではなく、「思いがけない景色に、和蘭陀に流される」のである。  同じようにして、Kierkegaard 的な反省癖(maniaあるいはautointoxication )も蜃気あるいは淵を媒質としている。まるで自生状態の「思いがけない景色」(あるいは淵)に出ることに中毒しないではいない。  同じようにして、泉鏡花の中毒症状は、「幽霊を見つけたのに自分を探しているようではない」といった不思議な眠気をさませない。というのも、この眠気は救出を待つ光景に面して覚醒と区別がつかないからである。

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