Sunday, March 12, 2017

碧空967 ジェファソンが労れる

967 ジェファソンが労れる  ジェファソンの日常性は、神託が信託に変装し、この世のものの媒体性が「試されている」気配に変容して、まるで世界の終わりではないかのようなのである。  信託は、器官の延長としての貨幣や言葉といった半具体の媒体を通して分業を組織する。信託は日常の基盤であり、分業して種の夢が成就するための手段として耐える能力が不断に「試されている」気配である。  しかし一体、ジェファソンは人なのだろうか、町なのだろうか、トーテムなのだろうか。そもそも1なのだろうか。Snopesが接近して来て、人も町もトーテムも輪郭を崩して振動し始め、しかし一つに融合するのではなく、しかし光り出し、しかし悪疫のように姿は見えないが人の姿をして猖獗を極める。姿が見えないのは場所や媒質になるからであり、人の姿をしているのは思いがけない景色(世界の終わり)に出たのにもう一人いる!からであり、猖獗を極めるのはいつまでも1にならない気配が迫るからである。  トーテム・ポールは、トーテム、町、人に遠心分離するジェファソンのそれぞれの次元で全背景が前景の振りをする振動が、遠近法の効果からはそう重なって見えるのである。

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