碧空975 神話とタイム・スリップする話の間
975 神話とタイム・スリップする話の間
遠近法を媒質とする限り、目撃証言は神話であることを躱せない。それは、いきなりparaphraseであることを躱せないのである。即興とは、制約のなかで初めて自由になれる奇妙な運動であるが、遠近法に巻き込まれる限り、自由には見えない。遠近法的にparaphraseされた法則的、歴史的制約ではなく、そうした擬態の気配が消せないで出現が潜伏であるような隠喩的制約、すなわち次元スリップすることが漠として自由なのである。
こうした漠とした自由は、普遍的なものが個の振りをし、全背景が前景の振りをし、運命が偶然や事故やエラーの振りをし、関心が無関心の振りをすることでもある。遠近法が解けた、いつまでも公ケノモノにならない蜃気であって、空中跳躍のようでも自由落下のようでもある。
神話を包む遠近法はいつまでも1にならない焦燥で、焦点が合わないために転移発作的に繰り出される本能的機制である。焦点が合わないのにまるで合うかのように使いこなすのである。ピンぼけがいきなりparaphraseされて、あたかもピンぼけが躱されているかのようなのである。
こうして、神話とタイム・スリップする話との間には、漠とした自由が、しき波のように打ち寄せている。


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