碧空989 Wakefield(鏡の中から迫る)
989 Wakefield(鏡の中から迫る)
媒体は、価値や意味や「私」を個別化によって拡張するが、同時に個がのさばらないように一般化によって引っ張り返されている。これが融通であるが、伸び切ってしまうと恐慌や失語状態や憑依となって一気に収縮が起こる。
出現するためには潜伏する現在(presence)の気配が、雌雄異体の気配に振れる限りで、男や女が伸び切って一気に収縮するような(雌雄異体の解除の)恐慌とは何なのか。
それは、鏡の中から気魄とも魑魅ともつかず迫る老いである。媒体性が「私」というものを脅かして薄気味悪く迫るように、鏡に呑み込まれた部屋と区別のつかない老いでは、ペルソナも性の輪郭も水分と精彩を奪われて、誰でもないぼんやりした顔から自由になろうとしてペルソナや性の輪郭を通じて伸び上がろうと藻掻く幼児の個別化の生動とは逆に、ペルソナや性の輪郭から自由になって(というよりは、ペルソナや性の輪郭が解けて)誰でもなくなることへ縮み上がる、その、うむをいわせぬ一般化の平等と熱平衡に脅かされている。誰なのか分からない相貌が迫る限りで、それは鏡に映るために映るのであって、手段と目的は解離しない。鏡は乗っ取られており、死体のように公ケノモノであるはずの鏡像が、そうではない。
Wakefield(N.Hawthorne ) の失踪はペルソナから自由になろうとして誰でもなくなる蒸発なのではなく、ゾルゲのように誰でもないことから自由になるために強迫的に誰でもなくなるundead状態であるが、ゾルゲを覗き込むことが薄気味悪く、Wakefield を覗き込むことが恐慌であるすれば、それは、のぞき穴が盗まれているだけでなく、鏡が乗っ取られているからである。


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