Thursday, April 20, 2017

碧空993 King-Kongに歩み寄る美女の図

993 King-Kongに歩み寄る美女の図  単に種が個の振りをするのではなく、種と個が解離しない限りで(遠近感の掴めない)初恋は、この世ならぬものの忽然とした出現、忽光に包まれる。しかし、種が個の振りをするが解離して個が種にそれと知らず安らう融通は遠近法に包まれて、光り出したものの本当の持ち主が接近して来たということにはならない。  遠くして近い長目の効果から、個の眺めが何か惜しい、というようなアウラに包まれるのも遠近法の崩壊であるが、それはいきなり二回目の初恋の、出現するためには潜伏する臨在(presence)とは何か違う。距離感の陶酔(鈍磨、喪失)は、この世のものがこの世との区別をおかされて瞬間移動するからではなく、伸び切った現在(presence)の、遠心分離した後景と前景の間が一気に収縮するからである。  このようにして、種と個も(後景と前景も、雌と雄も)実体ではなく、その間が解離するか解離しないかで光は変速する。初恋は、その間が解離しないのであって、雌雄異体の気配と(潜伏した)無性生殖の気配の間も決壊している。King-Kong に歩み寄る美女の図は(King-Kong と美女の思いがけない親和は)、この雌雄異体の気配と無性生殖の気配の間の決壊を、異類と女の間の決壊が映し出した隠喩的景色である。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home