Sunday, April 23, 2017

碧空995 サラの女体と群体の間の決壊

995 サラの女体と群体の間の決壊  King-Kong は、擬態語としては、五百羅漢や珊瑚虫のような群体を、擬声語としては、朝な夕なの鐘の音のような実体の揮発を模写している、とでもいいたくなる。  単に野獣の(何か試されているように獰猛な)姿が解ける、あの「魔法の瞬間」へ方向づけられたKing-Kong ならば、それはもう一つの隠喩、漠として予言的な雌雄異体の気配に彷徨する、どうしたらいいのか分からない焦燥や春愁、漠とした予期を鬱然と映し出しているのである。  King-Kong が姿を消すかに見えるとすれば、しかしそれは、滅びたのではなく、こうした二重の隠喩が解明されないままに転生するのである。Faust やDon Juanが何か試されているように獰猛であるのは、爪を食い込ませ執拗に嘴を突き入れても探しているものがどこにもない、種と個の間が決壊して実体が揮発している気配が誘惑だからである。それは、Faust やDon Juanが出現するために「壁に写る影」が五百羅漢や珊瑚虫の如く群体をなしているとは知らぬ間に魅惑されるのである。  何か試されているように獰猛なサラの懐胎が百歳を越えてからの異常に見えるのも、時間がかかったからではなく、雌雄異体の気配を媒質としているからでもなく、漠として広がる現在が一気に収縮してサラの女体が雌雄異体よりも年をとっていることが剥き出しになった群体だからである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home